ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス 感想VOL2 ロケット×ヨンドゥ最高すぎる問題

こんちわっす。

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』の感想記事をアップしたものの、まだまだ言い足りない!



ってことで今回はネタバレ全開で、特にタイトルにもあるように「ロケット×ヨンドゥ」のカップリングに軸を置いてあれやこれや書いてみたいと思います。


※めっちゃネタバレしています



















①ロケットが背負うもの

まず初めに言いたいのは、ロケット×ヨンドゥの組み合わせを考えた人天才すぎだろ!ってことです。


今作はスターロードことピーター・クイルと彼の「生みの親」であるエゴ、そして「育ての親」であるヨンドゥをめぐる「父と子」のお話であるわけですが、実は今作で一番成長したのはロケットなんじゃないかってことです。



ロケット・ラクーンの声を担当したブラッドリー・クーパーがパンフレットのインタビュー記事で言っていますが、今作のロケットは様々なものを背負う立場へとなっていきます。


自分一人の身を案じて好き勝手できた、あるいはそうすることで「自分」を保ってきたロケットにいやおうなく「自分」を壊して向き合わなければいけないシチュエーションになっていくわけです。


―愛されたいけど愛されたくない、愛したいけど愛したくない―


今作のロケットはまさに本人が意識してるかどうかは別としてこんな感じでないでしょうか。



依頼主であるソヴリンの電池を「わざと」盗む、ピーター・クイルに憎まれ口をたたいた後に少し寂しそうな表情をする(かわいい)、とにかく「素直じゃないなあ」と思う言動をとりまくります。「宇宙一の憎まれ王を目指してるのか!?」とクイルにも言われてしまうわけですが・・・

ブラッドリー・クーパーはパンフレットで「ロケットは技術的にも進歩しているよ」と言っていますが、今作のロケットは非常に繊細な表情が豊かだと思います。どうも前半の憎まれ口やわざと嫌われるような言動をするときの、あるいはした後のふっとした寂しそうな切ない表情、これはぐっときますし、現代CGの新しい形の進化なんじゃないかと驚きました。


さて、この「愛されたいけど愛されたくない、愛したいけど愛したくない」病は、ある男、まるで彼の映し絵のような男の登場で劇的に変化していくのです。



②その男、ヨンドゥ―ロケットの未来であり、父となった男―



さて、今作では前作以上に大きくフィーチャーされることとなった、ピーター・クイルの「育ての親」ことヨンドゥ。


ひょんなことから(というほどやさしいものでもないけど)、ロケットとヨンドゥはベイビーグルートと3人で行動することとなります。


ネビュラの逆襲と一部ラヴェジャーズの反逆によってとらえられてしまったロケットとヨンドゥ。


囚われの身の中、ともに会話や戦闘をしていくうちにヨンドゥはロケットにたいして色々な感情が湧いてくるわけです。



自分もかつて金に目がくらんで仲間を裏切ったこと、というより根本に親に売り飛ばされたトラウマ、それゆえに愛されたいのに愛してくれた人を自ら手放していくこと、そして強がって虚勢を張って生きていること。


これら若かりし頃の自分をヨンドゥはひどく後悔していました。そして今まさに若き自分と同じ過ちを犯そうしているロケットを目の前に黙ってはいられなかった。



「なぜならお前は俺だからだ!」



この辺りはある意味ヨンドゥがロケットにとっても「師」であり「父」となった瞬間だと思います。


もっと大げさな言い方をすればヨンドゥは今作でガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの父となったともいえるんじゃないでしょうか。


「どんなコンビだよ」と困惑気味に言うロケットでしたが、確実にこのとき彼の心が大きく動いたのは間違いないでしょう。


もはやガーディアンズ・オブ・ギャラクシーは彼にとって家族となったこと、生みの親(ロケットの場合は科学者かな)ではなく育ての親(ヨンドゥ)こそ偉大で大切だという「手放してはならないもの」に気が付くわけです。


ヨンドゥが導きロケットがまた一歩成長した。


「愛されたいけど愛されたくない、愛したいけど愛したくない」病からロケットが生まれて初めて前進し、決意した、そんな彼の成長譚としても今作は観れるんじゃないでしょうか。



③クライマックス Father and Sumはロケットとヨンドゥのことでもあるんじゃないか




まあこれは完全に穿っているというか願望込みの拡大解釈ですが、ラストヨンドゥの埋葬後に流れる曲。「息子よゆっくりやれ~」「父さんうまくいきそうだ~」的な歌詞付きで流れてくるんですが、もちろんピーター・クイルとヨンドゥのこと。

でも、一方で新たな生き方を見つけ決心したロケットとそれを見守るヨンドゥという見方もできるんじゃないでしょうか。


今作は最後ヨンドゥのために集まったラヴェジャーズの花火を見上げ涙するロケットのアップでエンドロールに突入します。


今作はスターロードの物語であるとともにロケットの成長譚であった、そんな彼の未来が楽しみになる美しい終わり方だったと思います。



この記事の締めくくりにもう一度言わねばならない・・・


ロケット×ヨンドゥを思いついた人(たち)、天才だろ!
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『ローグ・ワン スターウォーズ・ストーリー』感想!これぞスピンオフの醍醐味!

メリークリスマス!

クリスマスの朝っぱらからブログを書いている時点で僕の私生活がお察し状態ですが、、、

本日感想をアップするのは待ってましたよ、スターウォーズ新作!


『ローグ・ワン スターウォーズ・ストーリー』です。

予告編






まず僕のスターウォーズとどの程度の熱量なのか?を述べておきます。正直言って熱烈なスターウォーズファンとは到底呼べず、まあ好きなシリーズだよねくらいと思っていただければ。

・熱いスターウォーザ―からは理解を得られないかもですが「プリクエル」三部作のほうが愛着があります
→というのもオリジナル三部作はテレビでなんとなーく観た記憶がありましたが、映画館で初めて『エピソードⅠ』を観てからスターウォーズをしっかり見始めたというのがあります。だからオリジナルのほうが確かにあとから見ると面白いんだけど、やっぱり「リアルタイム」でみたプリクエルが僕にとって「スターウォーズ」といってもいいかもですね。

・とはいえ『フォースの覚醒』はやっぱり楽しみで公開初日から2日連続観ちゃいました。リアルタイム世代でもなければあとから熱心にはまったわけでもないのに、懐かしさと面白さが同居するような不思議な1本でした。

・そういうわけでオリジナル三部作は好きだけどそんなに特別な思い入れがないので、『フォースの覚醒」『ローグワン』ともに言えるんですが、過去作(特にⅣ~Ⅵ)のオマージュとか懐かしカット要素にそこまでプラスはなく(てか気づいてすらいないカット・シーンも多数w)、純粋に「スターウォーズ」の新作として楽しみましたとさ。


まあこんな感じですね。僕らと同世代(アラサー)でも過去に『特別篇』を観た人や、海外でリバイバル上映を観た人、両親などが熱心なスターウォーズファンという人はオリジナル三部作への愛着、そして待ちに待ったプリクエルへのがっかり感をリアルタイム世代の方々と共有できたみたいですね。それはうらやましいなあ。

今度こんな記事を書いてみようと思っているのが「リアルタイム」であることの強みなんですよね。やっぱりリアルタイムで映画館で観て、その感動や失望を分かち合う「祭り感」「ライブ感」って「映画」を語るうえで個人的には大事だと思うんです。

だから僕のオールタイムベストって生まれてから映画館で観た作品ばかり、もしくは名画座で観たリバイバル作品ばかりで、DVDとかで観ただけの作品って全然ランクインしていないということに最近気づきました・・・まあお前の塩梅だろうが!って言われればそれまでなんですが(笑)。



前置きが長くなりましたが、そういうわけで『ローグ・ワン スターウォーズ・ストーリー』2回ほどすでに観てきました!
※核心に触れるネタバレなしで感想をだらだら書きます。ただ、基本的に鑑賞前は前情報なしで観たほうが面白いです!



○感想の「結論」

まず言ってしまいましょう。控えめに言っても本作、僕は大好きです!素敵!


ちなみに、今作は初めてスターウォーズに触れるという人はいったん映画館に行くのをストップした方がいいと思います。最低でも『エピソードⅣ 新たなる希望』は観ておくべきです。観なくても戦争アクションSF映画として見ごたえがありますが、やっぱり『エピソードⅣ』ありきだと思います。だからこそスピンオフなわけですからね。


これはすでに予告や前情報段階で明らかになっているのでいいと思いますが、今作は『新たなる希望』の直前までを描く『エピソード3.9』とも呼べる作品なんです。これは観ればわかりますが、たいしてファンでなくとも『新たなる希望』がすぐに見たくなる、あるいは補強増強される驚異的なスピンオフとなっています。がっちゃんこ!とつながるのです。


だから『エピソードⅣ 新たなる希望』はマストです。


そして、これぞスピンオフの醍醐味!だと思うのですが、『エピソードⅣ 新たなる希望』の「希望」をこれ以上ないくらい増幅させてみせたこと、エピソードⅣのツッコミどころというか弱点だったあることを感動的な話にしてみせたこと(とても素敵な後付け)、これらは本当に素晴らしいと思います。



○ローグワンの好きなところ

・ローグワン中隊のキャラが最高すぎるぜ!
・ストーリーが僕好みだった!暗くて辛いが、「希望は死なない」のコピー通り、名もなき者たちの熱すぎる希望のリレーに感涙
・っていうかドニー・イェン最高すぎ!みんなイップマン見返そう!
・新しく出てきたロボットも秀逸
・ライトセーバーアクションがほぼない代わりに地上戦・空中戦ともに迫力満点
・吹き替え版も素晴らしい。てか吹き替え版のほうがいいかも。
・当たり前ですが話が1本の映画で完結している


○ローグワンメンバーの「大儀」とストーリーの熱さ
ざっと上げてきましたが、やっぱりローグワンローグワンのメンバーと彼らが紡ぎだした物語が素敵なんですよ。これよくディズニーがオーケーしたなってくらい、がっつり戦争映画なお話だし、『新たなる希望』とは真逆と言っても差し支えないであろう、辛い話でもあります。だからこそクライマックス~ラストで生まれる希望がぐっとくる、熱いお話でもあります。


デススターの設計図を盗み出すというシンプルかつ究極難易度の目標に向かって立ち向かうローグワンのメンバーたち。面白いのはよくあるような「キズナたっぷり」のチームではないんですよね。


ローグワンへの批判として「ジン・アーソの気持ちがよくわからない(感情移入しにくい)」「ローグワンのチーム感が足りない、どういう過程で彼らが仲良くなったのかよくわからない」というものがあります。これは確かに「乗れる」か「乗れない」がわかれやすいからですが、僕はこれらの批判とは真逆に超感情移入しました。


というのも、彼らは「絆」でなく「目的」(そしてそこから連想される互いの暗い黒い過去)でつながっているように思えます。語弊がある言葉かもしれませんが「プロフェッショナル」なつながり、チームメイトという感じです。


主人公のジン・アーソも帝国へ立ち向かう決意はすべて「個人的な」事情から生まれるわけですが、僕はこの設定・ストーリーはとっても好みでしたね。大儀や意義が個人的なものだって別にいいと思うし、一人のやさぐれふさぎ込み世界から逃げ回っていた若者がある「個人的な事情」の連鎖で世界に立ち向う。「個人的な事情」=「世界」だって僕はいいと思うのです。


そういえば近年の日本の若者論でも「自分の周り」=「世界」ということが皮肉や批判、時には擁護も込めて論じられることが多いように思えますが、世界的な潮流として作り手・論じ手(=大人)から観た主人公(=若者)の見え方が変わってきているのかもしれませんね。『フォースの覚醒』のハン・ソロ(作り手・論じ手)→カイロ・レン(若者)の構図が顕著かなと思えます。


そしてローグワンとなっていくアーソ周りのメンバーもキャシアン・アンド―は6歳の時から反乱軍に加わり、黒い仕事に手を染めてきた青年で彼も彼なりの「大儀」と葛藤を持ってきたわけだし、脱走パイロットのボーディにも「個人的な事情」から生まれた大儀(恩返しと言ってもいいかも)があり、帝国に守るべき寺院を破壊されたチアルートとベイズにも彼らなりの大儀がある。みんな「個人的な」大儀や理由がある。その目的・矛先は帝国軍。もうこうれだけで十分ですよ、チームになるには。



○チアルートとベイズの絆が最高すぎるぜ
それとその彼らの中でもドニー・イェン演じるチアルートはもう最高のキャラクターです。彼は相棒のベイズとともにジェダという星の寺院を守る「守護者」だったわけですが、帝国軍に寺院を破壊されて以降は浮浪者となっているようです。


チアルートは盲目のいわゆる「座頭市」設定なのですが、彼は感覚が研ぎ澄まされ、音や気配で周りの敵の存在を察知し敵をなぎ倒していくのです。遠距離の敵はベイズが銃撃でサポートというのも熱い!

チアルートとベイズの掛け合いも最高ですね。チアルートはもうこの時代には「宗教」みたいになってしまった「フォース」を熱心に崇拝する「フォース教」の先駆者?みたいな存在でベイズは「いまだにあんなのを信じているいかれ野郎さ」ってチアルートを皮肉るんですが、なんだかんだで二人は互いを信頼しあっており、終盤のベイズがチアルートに投げかける言葉は涙なしには語れません。


この映画をみたら間違いなくドニー・イェンの他主演作などを観たくなること間違いなし(笑)。彼の53歳と思えぬ滑らかすぎるアクション、説得力ありすぎる表情作り。そういえばNetflixで『イップマン』が序章ともう一個くらい?見放題ラインナップに入ってますんで、メンバーの方はぜひ見てみるといいんでないでしょうか?


フォースなき時代にフォースを「信じている」チアルートとそれを支えるベイズ。彼らの信念や物語は本当に今作のテーマともいえる「希望」と密接にリンクしており、「希望」をつかむために必要な大切なことを体現しています。

「我はフォースと供にあり、フォースは我と供にある」


○新たなロボットK2も最高だぜ!

今作でキャシアンとジンと行動を共にするはK2という、帝国軍ロボットです。厳密には帝国軍のロボットを再プログラムしたキャシアンの相棒みたいなもんです。

こいつが予想外にめちゃくちゃ面白いキャラなんです。C3POよりこっちのが好きだわ!って思ったのは僕だけですかね(笑)。

再プログラムされた副作用で回路に浮かんだことをすぐ言っちゃうという設定。まあ要は空気読まずに思ったことを何でもかんでも口に出しちゃうやつなんです。これが全編通して暗い物語に細やかな笑いをもたらしてくれてナイスな役割をしています。

プリクエルのジャージャーみたいな狂言回しでなく、C3POみたいなおどおどしてかわいい?みたいなキャラでなく、本当に「ふふ」ってなる程度のユーモアなんですが、こいつがまたクライマックス泣かせるんですよ。


こういう空気読めないやつが最後主のために頑張るとかそりゃ泣くよね。ロボット萌え(燃え)とはこのことか・・・!?


○スター「ウォーズ」がついに!?見られた!?

今作はジェダイがすでに滅んでいるし、ライトセーバーアクションは「ほぼ」見られません。フォースの使い手も「ほぼ」いないしね。

冒頭のほうでも書きましたが、今回は「戦争映画」として非常に見ごたえがあります。ギャレス・エドワーズ監督は「でかい!」ってものを撮る、見せる(魅せる)のが本当にうまい!

スターウォーズで「でかい!」ってのはいろいろありますが、地上戦で出てくるあいつ!とか、空中戦(宇宙空間)でのあれ!そしてあれの倒し方!とかね。

後半のある星での戦いは本当に必見。ツイッターとかで『プライベート・ライアン』とかを思い出したという意見もありましたが、戦争映画としても引けを取らない、手に汗握る戦闘(それでいてファミリー向けにグロさは全排除)は満足度がぐっと上がりました。


○一本の映画でしっかり話が完結


いやまあスターウォーズ自体がもはや永遠に続くサーガであるため、果たして「完結」があるのか問題が生じるわけですが(笑)。本作も厳密には『エピソードⅣ』ありきなので、「完結」という言葉自体は違和感がありかもしれません。


ただ、それでも「設計図を盗み出すために立ち上がったローグワン」の物語はしっかり決着しており、エピソードⅣから始まるオリジナル三部作をしっかり補強した「スピンオフ」の役割はほぼ完ぺきに果たしているといっていいでしょう。


何より「大儀」「フォース」「希望」を「信じる」人たち、大事なことだから2回いますが「信じる人たち」の物語がもう僕的にはドストライクでしたね。ジンとキャシアンがあることをした後に「きっと誰かには・・・・」というシーンなんかは「フォース」を持たない人たちの「信じる気持ち」が生み出した物語なんだと改めて感涙必至ですよ。


『ローグ・ワン スターウォーズ・ストーリー』を観た後に『エピソードⅣ 新たなる希望』を見ると、これまた新しい発見というか、例えば「ルーク、フォースを使え・・・」というオビワンの台詞になぜかあり得ないほど感涙したりと(笑)、本当に深みが増したかのような魅力が発見できます。



映画としては粗いところや完成度があれ?なところも確かにある本作ですが、オリジナル三部作に大した思い入れがなかった僕のような人でもオリジナル三部作への興味・深みが増す本作はスピンオフとしてこれ以上ない素敵な一本だったのではないでしょうか。


スターウォーズファンの人はもちろん、ファンでない人、そもそもスターウォーズ観たことない人もぜひ『エピソードⅣ』を観てから本作を!おすすめです。

『この世界の片隅に』感想、今年最大の衝撃

こんばんは。久しぶりのブログ更新ですが、またまたアニメ映画の感想です。


○どーでもいい前置き(飛ばしてくださいw)
言い訳なんですけど、こないだ「Fire TV 」を購入しちゃいまして、これが予想以上に動画視聴が捗る捗る。

今までも一応プライム会員だったし、Netflixにも加入してはいたんですが、いかんせんPCやスマホで映画やアニメを見るのが個人的にあまり好きでなくて。だから結局はレンタルビデを借りてテレビで見るのがもっぱらだったわけです。

でも何だかCMで見かけるとすごい便利そうだし、一応ネット環境は整ってるし・・・まあ物は試しと思って買ってみたわけです。


いやあすごい。やっぱりTVで観る映画やアニメ、ドラマは素晴らしい。しかもインターフェイスも良くて操作性も特に大きな不満もなく、これまで全く生かせていなかったNetflixのおすすめ機能なんかもリモコンでさくさく検索できるしでもう休日が変わったといっても過言ではないです。

なんだかAmazonの回し者みたいですが(笑)、仕事帰りで夜遅くてもアニメとかドラマ一話くらいなら気軽に観れちゃうし、休日はゆっくり映画も見れるし、おまけにプライム動画とNetflix合わせれば結構見たい映画やアニメがあるんですよね。ここ2ヶ月くらいはめっきるレンタルビデオ屋さんにも行かなくなってしまいました・・・。



○『この世界の片隅に』鑑賞
とまあ前置きが長いですが、『この世界の片隅に』はまえからのんこと能年ちゃんの復帰作品ということで一応興味はあったんです。とりたてて能年ちゃんのファンではないんですが、やっぱりあれだけの才能のある女優さんですので、どれどれと半分ミーハーな気分で予告編すらろくに観ずに、もちろん原作も読まず(こうの史大さんは初めて知りました)本当に久々に予備知識ゼロでふらっと映画館へ行ってきました。



まず言ってしまいましょう!すさまじい!


今年は言うまでもなく『君の名は。』『聲の形』など素晴らしいアニメ映画がまさかの同年公開され、まるで日本アニメ映画の集大成というか新たな歴史の始まりみたいな年ですが(大げさかな?)、もう2016年も終わろうかという時にまさかのこの2強に割って入るような作品に出会おうとは!!!


はっきりいって結構シリアスさも備えており、また派手な見せ場があるエンタメというよりはどちらかというと淡々とかつ丁寧に物語を紡いでいくタイプの作品ですので、あうあわないは当然あるとは思います。場合によっては「眠くなった」という感想が出ても別に不思議ではないと思います。

でもでも!やっぱりこの作品はだまされたと思って老若男女みんなに見てほしいな。そして絶賛から酷評まで、とにかく観た人がどんな風に思ったのか、本当に十人十色の感想を聞いてみたい。そのうえでまた僕が感じたことをかみ砕きたい。そしてそれをまた誰かと話したい。そんな衝動、情熱に駆り立てられる素晴らしく熱量がこもった力作です。


○予告編以上のネタバレなしで感想言います。

さて、観終わってから初めて予告編を観ました(笑)。





いやあもうね、鑑賞後だとこの予告編ですら思い出し号泣ですよ。ほんとに。


本作は第二次世界大戦中(広島への原爆投下及び終戦)の「すずさん」の日常(半生?)を描いた作品です。特に物語途中、すずさんが成人してからは舞台を呉に移しますが、その呉とは戦争後期には度重なる空襲にさらされる場所でもあるわけです。そしてすずさんの故郷は広島市。つまり、あの新型爆弾が投下された街。

なんだかこうしてみると「戦争の悲惨さ」だったり「辛すぎる日常を何とか懸命に生きねば」的ないわゆる「戦争映画」のような特異な非日常を描いた、はっきりいって鬱映画でありとっつきにくいジャンルのようにも思えます。


確かにこの映画は戦争の恐怖、悲惨さ、そして目を覆いたくなるようなあまりにも(精神的に)辛いシーンも用意されてはいます。しかししかし、この映画、単なる「戦争は悲惨!」にとどまらない、むしろそうしたメッセージ性や説教臭さをある種意図的に排除した、本当に「日常」「市民」を描き切った作品となっています。そこがいいんだよー!

パンフレットで監督やのんも言ってますが「戦争」が「日常」に侵食していく過程を描くのであって「戦争」だけを描く映画ではないのです。まず先に「日常」があり、それを丁寧すぎるほど丁寧に見つめている。僕たちはすずさん(今更ながらのん演じる主人公です)を隣の家から覗かせてもらっているような感じで彼女たちの日常を見つめているわけです。ここに「戦争」が先に来る戦争映画とは大きな違いがあり(もちろん「戦争」も辛くなるほどきちんと描いています)、ありそうでなかった斬新な映画だと思うのです。


ここからは特にこんなところが良かったよ!ぜひ興味ない人にも勧めたい!ポイントを羅列していきます。


○「すずさん」≒のん(能年ちゃん)のシンクロ具合がすごい!

はっきりいって、能年ちゃんが改名して、その復帰作がアニメ声優というのは事前の期待値としては相当低かったです。いくらなんでも棒読み演技で目も当てられない状況になるんじゃないかと。


だがしかし!ですよ。僕は能年ちゃんのこれまでのキャリアを「あまちゃん」「ホットロード」くらいしか知らないのであんまり言えないですけど、今作のすずさんはのんのベストはまり役であり、ベストアクトだったといっても大げさではないんじゃなかろうか!?


今作のすずさんは、どこかのんびりしてて、ぼーっとしていて、成人してからもなんだか垢抜けなくていつまでもぼんやり少女みたいな癒し系女子なわけです。それでいて、実はいろいろ気づかいもしていたり、ちょっと怒られるくらいや難しいことくらいなら「弱ったね~ふはあ」とかいってマイペースに対応できちゃうような強メンタルの持ち主でもあります(笑)。

このぼーっとのほほんとしていて頼りないなーって部分、恋愛にはなんだか疎そうな垢抜けないなーって部分、でも芯はしっかりあって時には爆発させるほどの情熱も秘めている。そんな様々な側面・内面を併せ持つ彼女をのんは本当に見事に憑依して演じ切っておりました。


原作者のこうの史大さんもパンフレットで言ってますが、のんの持つ「素直さ」ってすごい役柄にプラス効果をもたらしていると思うし(まだ原作未読ですが)、広島弁の使い方、そしてセリフにならないような「ほえー」とか「むー」とかそうした間を取るようなセリフも絶妙なトーンなんですよ。


パンフレットやネット記事を見るとのんは演じるにあたって原作を読み込んだり、監督さんの過去作品を観たりしてかなり研究したようです。おまけに収録時には「監督さん、このときのすずさんの気持ちってどんなだろう」って質問やディスカッションを何度も行いブラッシュアップしたとのこと。

監督さんによれば、のんの気づきや疑問で新たにシーンの編集を加えたこともあったみたいで、本当に今作はのんでなければありえなかったんじゃないかと思えるくらい、彼女の演技に心を打たれました。


あまり芸能ニュースには明るくないので良く事情はわからんのですが、やっぱりこれだけ人を惹きつける何か=才能を持っている彼女を、それこそこの世界の片隅に干しておくなんであまりにももったいないと思う。日本映画界の損失だよ。


○「日常」を描いているからこその「笑い」「和み」

すずさん≒のんのシンクロ率とも関係あるのですが、今作はシリアスな題材ではあるものの、実は笑えるシーンが多々あるのです。僕が見た回でも劇場で何度も爆笑が起きてましたし、僕自身もいろんなシーンでクスリからワハハまで本当に楽しみました。

すずさんはおっちょこちょいなところもあるので、彼女が起こす騒動に周りの人が巻き込まれたり、当の本人がいつも通りだったり「間」の使い方とか「ギャップ」がまたおかしくておかしくて。物語はどんどん「終戦」というより「8月6日」に進んでいくから、史実を知っている僕たちはだんだん緊張感が高まっていくんですよ。だけど、すずさんたちの日常を観ると本当に気持ちが温かくなるし、言葉やあからさまシーンで語られる(描かれる)シーンは全然ないのに「いまこの日常」がどれだけありがたいことか。


この「笑い」「和み」は具体例を出した方がよりわかりやすいんだけれども、個人的にはどれも知らずに見てほしいし、多分爆笑ポイントは人によっても様々だと思うので、ぜひ「シリアス一辺倒」な戦争映画じゃないんだよ、っていうのを知ってほしいんです。もし「戦争映画」というだけでこの映画に行くのに二の足を踏んでらっしゃる方がいるなら、もったいない!って背中を押してあげたいです。


○「笑い」と「悲惨」のバランス、緩急=物語にしっかり感動できる

ここまですずさん≒のんのシンクロ具合、彼女の和やかなキャラクター、そしてそれを中心とした温かな笑いや和みといった「シリアスばかりじゃない」戦争映画だよって力説してきました。しかし、描く時代が時代だから、やっぱりそんな日常ゆるかわアニメでは終わってくれません。


時代が進むにつれて日本は敗戦間近になり、明らかに攻め込まれていきます。空襲は来る、知らせ(内容は劇場で)も来る、そしてあまりにも辛すぎる出来事が起きる。その辛すぎる出来事から生じる亀裂・波紋・余波は本当に見ていて辛くて悲しかったです。すずさんの「日常」に「戦争」=「非日常」がどんどんどん侵食していく。この過程は正直和み要素はちょくちょく健在しつつも、やっぱりずしりと心に突き刺さるものがありました。


でもこの映画のいいところは、そうした「悲惨」一辺倒で後味悪く終息へ向かうんじゃなしに、それでも続いていく「日常」をやっぱり丁寧に丁寧に描いているところなんです。そして監督さんも憎いなあって思うのが、さっき言ったすずさん≒のんのシンクロがここでも効果発揮しまくりなわけなんですよほんとに。


もうのんのばっちりな演技(彼女自身のキャラクターやこれまでのキャリアもあいまって)に観客は視線が一緒になり、感情移入しまくりなわけなんですよ。だからこそ、「非日常」に侵された「日常」、そしてまた「日常」が少しずつ湧いてくる、すずさんと一緒に僕たちは立ち上がり「この世界の片隅に」自分の存在価値を見出すカタルシスがあるんです。

こんな書き方するとなんだか僕も大好きな今年の某アニメ映画みたいな派手な何かが起きるようですが、実際の語り口・出来事は淡々としています。悪い言い方をすればずっと地味。でも確かなカタルシスを最後には得られ、そして皆すずさん≒自分たちが「この世界の片隅に」居てもいいんだってことに大きな大きな感動があるという素敵な物語なんです。


○これは絶対映画館で観たほうがいいよ!

独特な作画である本作ですが、絶対に映画館で観たほうがいいです。というのも、色遣いのすばらしさ、そして何より「音響」がこれまたいいんです。


「日常」を際立たせるペンを走らせる音や水の音、汽車の音、「悲惨」を実感させる爆撃機の音、焼夷弾の音。これらは劇場の大音響で聴いた方がより感情移入というか物語に入り込めるし、ある意味これら音たちがセリフにもなっているんです。


またすずさんの特技というか趣味が絵描きなんですが、その特性を生かした風景シーン(綺麗な海から爆弾まで)なんかも見ごたえがあって、大スクリーンならではの情報量も多いです。



ああもう他にも小野大輔演じる水原さんとすずさんの関係性が絶妙!とか妹ちゃんが大天使!とかあの座敷童のエピソード泣ける!とか掘り下げたいところ山ほどあるんですけど整理できてない!


今作ははっきり言ってただの「感動」映画ではないと思います。観た後はかなりの疲労感に襲われ、メンタル的にも鬱映画とは違うダメージが必ず残るといっても過言ではないです(でも決して鬱映画ではないよ)。



でもそれでも、やっぱりいろんな人に見てほしい。そして絶賛でも酷評でもとにかく何かを発信してほしい。


とにかく僕の今年ベスト級のみならず、オールタイムでも上位に来るような、衝撃的な一本にまた出会ってしまいました。
『この世界の片隅に』、おすすめです!

帰ってきた『ジェイソン・ボーン』 感想!

どうもです。

前回記事で『君の名は。』について、すごい考察でもするかのような大風呂敷を広げておきながら先に『ジェイソン・ボーン』の感想しれっとアップします(笑)。

まずですね、僕はマット・デイモン主演のボーン三部作はどれも好きで、ちょうど中学生~高校生くらいにかけてリアルタイムで観てきたこともあって、9年ぶりの新章となる今作も大いに楽しみにしておりました。

ちょうどAmazonプライム動画で前三部作が見放題ラインナップに入ってましたので見直したりしました。


しかも『ボーン・レガシー』と違ってまたポール・グリーングラス監督に戻るということで、ある程度安心してみられるかなあとという安堵めいた期待もあったので、結構ワクワクして封切日を迎えました。

と、いうわけで今回は僕の感想結論→好きなとこ、残念だったところ→次回作はこんな感じ希望的な感じでいきます。ストーリーの根幹にかかわるネタバレはありません。


1、『ジェイソン・ボーン』の感想

まずですね、点数で言うと65点くらいです。普通に1本の映画としては合格ラインというか、十分に面白かったです。なんか感じ悪い書き方ですが(笑)、やっぱーーり前三部作と比べると、うんまあ・・・みたいな出来上がりかなと。

端的に言うと、今回は前三部作のセルフリメイクなノリなわけなんですが、前三部作の良かったところは希釈されてしまい、もういいんじゃ的な食傷気味部分はむしろ濃くなっちゃった感がしてしまうんですね。

もちろん、さすがはポール・グリーングラス監督はじめ今作スタッフはボーンのいいところ、見せ所は理解されているので、JBが帰ってきたなあ!っていう感慨深さ、ニヤニヤ感は十分に味わえるんですけど、残念ながらアクション映画の歴史を変えたとまで言われる、特にアルティメイタムに比べると傑作とは言えないのかな?という印象。

では次から好きなところと残念だったところを羅列してみます。核心に触れるネタバレはありません。
※とはいえキャラの性格やぼかしつつもストーリーに若干触れるので、何も入れたくない人は見ない方が良いです!






2.ジェイソン・ボーンの好きなところ残念なところ

まず。好きな点から。

やっぱりマット・デイモンはかっこいいんすよ!まあある意味マット・デイモンのJBが見られた時点で満足度は高いっちゃ高いんですけどね。

もう昔のパスポート画像とか出ると「いやーJBもすっかり老けたな」と思うんだけど、相変わらずの格闘術、もったいない精神でそこらへんに落ちているガラクタで窮地を乗り越える感じとか、尾行をうまく巻いたり逆にあの手この手で返り討ちにしちゃう感じとかは本当に好きです。

あとマット・デイモンは表情の演技がすごく上手な俳優さんだなって改めて思いました。今作でも冒頭の一連のシーンで「ああまだ苦しいんだな」とか言葉としてなくても伝わってきますしね。つくづくジェイソン・ボーンは彼のはまり役であり、ちょっと007みたいに交代って今後なったらいやだなあと思う次第です。

※ちなみにマット・デイモン自身は今後ジェイソン・ボーンを若手に譲ることにも含みを持たせているようです。
マット・デイモン、ジェイソン・ボーン役を卒業することに抵抗なし(映画.com)


それと、今作から登場の新キャラたちもそれぞれ魅力的でしたね。特にアリシア・ヴィキャンデル演じるリーはとてもグッド!
コードネームU.N.C.L.Eでもずいぶん可愛らしいながらもあっといわせる役どころでしたが、今作では若くして超有能かつはっきりとではありませんが劇中徐々に味方になってくれる役どころ。まあ前三部作のパメラさんみたいなところでしょうか。

相変わらず美しいアリシア・ヴィキャンデルですが、今回はその凛とした感じとあどけなさが残る感じがいい意味ではまってましたね。若さゆえの無鉄砲なところや大胆さを兼ね備えながら要所では冷静沈着、でも可愛いんでつい黒い部分が垣間見えても許しちゃう感じ(適当)。次作以降もぜひ主要人物として登場してほしいところ。

あと、今回の「作戦員」を演じるフランスの名優ヴァンサン・カッセルも渋くてまさにアサシン!って感じで好みでした。ボーンシリーズの魅力の一つに彼を追いつめていく作戦員(時に狙撃したり奇襲をしたり)がいて特にアルティメイタムのデッシュは大好きなのですが、また一つ魅力的なアサシンだったなあと。

というわけで、「ジェイソン・ボーン」の魅力、超有能なCIA内の味方的な女性、相変わらず渋かっこいい作戦員という良いところは引き続き継承されているんですが、ここも継承してほしかった、いやもうこれはいいんじゃないすかー的な「残念」なところもちょくちょくありまして、今度はそれを列挙していきます。

まずジェイソン・ボーンについて。さっき褒めといてなんですが、前作までやってた「しれっと賄賂を現場のやつに渡して情報を得る」とか「何ヶ国語も駆使してしゃべる」とか「ちょっとツンデレ」なとこ(ニッキーに「きっと逃げられるさ」みたいなやさしさ)とかもうちょっとそういうのも観たかったぞ!と思う次第です。

あと、9年もブランクがあったからかでしょうか、微妙に敵をまくのが下手になってないかとか「お、それ使っちゃう」みたいなアイデアに欠けていたなあという印象。これは僕が前三部作を美化してるだけかもしれませんけども。

とにかくボーンは自分の持てるスペック(お札、言語、格闘などなど)をフル活用し、今ある最小限のものを最大限に生かせる男!なのですが、今作はその辺のニヤリとできるシチュエーションが少なかったのが個人的にちょっと不満でした。相変わらずの万引きスキルはすごいですが(笑)。

あと、前三部作でそれってもう吹っ切れたんじゃないんすか・・・とか肉弾戦が少ないとか色々残念なところはありました。

それとトミーリージョーンズ演じるCIAのお偉いさんも、もうそういうのはいいんじゃないですかーってキャラでしたね。演者自体はさすがジョーンズおじさんで素晴らしいのですが、ボーン三部作と比べてもマンネリ型のお偉いさんだし、この10年のスパイ映画に限らず使い古されてきたような設定・考えのおっさんで、そろそろこのシリーズ続けるにあたってそれは限界なんじゃないかなーという感じでした。

何より、彼の考えるある作戦が「それボーンシリーズでやっちゃう?」という題材なんですよ。これまでのボーンシリーズの黒幕たちの「作戦」て良くも悪くも我々視聴者への「ハッタリ」が非常に優れていたと思うんですよね。「CIAならそれくらいやるかも」「うわースパイってか殺人マシンこえー」的な。

そして、その「ハッタリ」を成り立たせるのが普通(少なくとも僕は)「CIA内部がどんな感じか知らない」からできる「リアリティ」だったわけです。例えば題材は全然違いますがジャンプ原作の「バクマン。」の編集会議シーンは、実際には誰もあそこの中で取材してないから本来ならあんな感じなのかはわからないわけです。でも「こんな感じかも!?」と思わせる「リアリティ」があり、製作者たちは見事に「ハッタリ」をかませていたと思います。

そもそも前三部作の殺人マシン養成プログラムなんて、ありそうもないことなんですが、「CIAならそれくらいやりかねないな」「CIAならそれくらいできるかもね」ってラインを絶妙に生かしていて、そしてそれがボーンの過去と密接に結び付き、そしてそれが敵役としてのCIA(一部)へのちきしょー感やボーンへの感情移入に大いに役に立っていたと思うのです。


つまり前三部作って「ボーンの自分探し」と「CIAのやばすぎる闇探し」という2つの謎ときが「一つの物語」として成立し、しかもそのリアリティ具合が「一般人は知らない」ラインだからこそ想像や妄想も掻き立てられてワクワク感が出たと思うんですよ。


まあ、これはネタバレじゃないよね?と思うので書くんですが、今回のその「作戦」がはっきりいって「超ありきたり」なうえに「無駄に壮大」でしかも「CIAじゃなくてもいい」、つまり我々一般人もある程度ニュースとかフィクションで見聞きしちゃっているテーマなんです。おまけに中途半端にボーンの「自分探し」要素まで無理くりねじ込んだのに、その「作戦」とあんましリンクしていない。だから「自分探し」=「CIAの闇暴き」だった前三部作と違い、本来ならそのテーマだけで映画2本になっちゃうような要素(「やばい作戦」≠「自分探し」)を無理くり一本にいれたんで、結局「一つの物語」にうまくなっていないんでアガラナイんですよねえ。


そもそもボーンの「自分探し」要素も「ええまだやるんすか」という感じも否めず、特に今回とってつけたような新しい忘れてた記憶は正直言って蛇足感が否めない。ジェイソン・ボーン自身が過去三部作で記憶は思い出したけどやっぱり・・・ってくだり、設定はありだと思うけど、「過去」を探す旅はもういらないんじゃないかなあ。その辺はクライマックスで解決してきたように見えたので、次からは「未来」を探す物語にしてほしいし、そうしないとジリ貧だと思います。


他にもなんでパメラ出てこないんだよ―――!ニッキー出すならパメラも出した方が面白くなりソーじゃん―――!とかmobyの主題歌は相変わらずかっこいいけど流すタイミングが前三部作よりださい!!とか(アルティメイタムのニッキーがニヤッとした瞬間にイントロが流れるのは本当にかっこよかったのに)。


色々言ってきましたが、とはいえ9年ぶりのボーン、新章立ち上がりとしてはまあこんなもんかな。相変わらずカーチェイスはじめアクションはいい部分も多いし、やっぱりジェイソン・ボーンのかっこよさは今後も観たいし、今回「新章始動」といいながらセルフリメイクだった感が否めない作風をそろそろ方針転換してほしいし、そうした仕上がりのジェイソン・ボーン次作をぜひ見てみたい!と思う次第です。

テンポもいいし、なんだかんだ手に汗握る展開でもあるし、もろにグロイシーンとかもないし、デートムービーにも野郎同士で観るのもよし、レイトショーで一人でじっくり味わうのにも向いていると思いますので、おすすすめはおすすめです。


3.次回作は今感じで!

勝手に僕が希望する次回作ですが、マット・デイモン続投!アリシア・ヴィキャンデルも続投!その上司か何かとしてパメラ復帰!「過去」ではなく「未来」を探す物語!こんな感じのボーン新作でよろしく!

邦画が見せるスクラップ&ビルド―『シン・ゴジラ』と『君の名は。』が重なった奇跡

※本記事は2011年3月11日の東日本大震災について触れています。



こんにちは。猛暑が続く日本列島ですが、愛知県では少しずつ夜や朝が涼しくなってきた真夏も終わりにむかっているのかなと感じます。

この夏公開された邦画『シン・ゴジラ』と26日から公開された『君の名は。』を観てきました。どちらも素晴らしくて前者は4回ほど、後者はまだ1回ですがもう1回は観てきたいなと思っています。


どちらもアニメ畑の監督さんですが『シン・ゴジラ』は実写で、『君の名は。』はアニメーションでそれぞれのやり方で日本の「スクラップ&ビルド」を描いたと個人的には感じました。そしてどちらも監督さんのそれぞれの、まさに「集大成」といえる、文字通り一球入魂のこれでもかとお二人の作家性やアイデアがぎゅぎゅっとつぎ込まれた作品でした。この2作が同年同時期に公開されたなんて本当に奇跡としか言いようがありません。

この2作の個人的に好きというか素晴らしいなと思うのは「スクラップ」と「ビルド」を真っ向から表現し、さらにカタルシスのあるエンターテインメントに昇華させていること。今の日本だからこそ生まれたのかもしれませんね。

※ここからはネタバレがあります。












―「スクラップ」2つの作品で描かれる絶望と断絶―

タイトルに「スクラップ&ビルド」といれましたが、何からのスクラップ&ビルドか?それは東日本大震災からの、だと思います。両作品とも「ゴジラ」「彗星」の形を借りて未曾有の大災害が劇中で起こります。ゴジラは東京を壊滅させ、彗星は三葉の街を消し去りました。特に後者はそんな話になるなんて微塵も思っていなかったので、かなりの転調、ショッキングな展開でした。


『シン・ゴジラ』は「現実(ニッポン)VS虚構(ゴジラ)」をキャッチコピーにゴジラが実際に東京に現れたら日本はどう対抗するのか?という臨場感あふれるシミュレーションな風味となっております。

ゴジラの恐ろしいところは想定外おじさんよろしく、まさに規格外のパワーを見せつけたことです。最初はあの震災時を彷彿とさせるようなといったら失礼ですが、いわゆるステレオタイプ的なおっさんたちが悉く後手後手に回りゴジラにいいように街を破壊させられるわけです。でもだんだんこなれてきて、備えも心構えも万全になってきたところであの第4形態なんです。そしてあの圧倒的パワー。エヴァンゲリオンでもちょいちょい言われていますが、人知の及ばないものの恐怖、絶望は本当にすさまじい。

僕だけでなく、多くの人がフィクションということを忘れて(特に都民の人は)「もうやめてくれ…」とゴジラに思ったはずです。


『君の名は。』はゴジラとは対照的に、滅多に近づかない彗星が日本に最接近します。これは新海誠監督の真骨頂というべき、本当に本当に美麗な映像です。だから物語序盤ではこの彗星が例えばタイムリープや瞬間移動などのSF的何かになるのかな?ぐらいに軽く見ていたのですが、実はその彗星が予期せぬ動きをとり、岐阜県のある街に墜落、500人以上が住む街を一瞬にして消し去るという信じられない大災害となります。

これはもうマジで後ろから頭を殴られたかのような衝撃を受けましたよ。ええ。物語的な絶望もそうですが、神木君演じる東京に住む瀧からしたら、夢のような美しい風景なわけです。だけど三葉や町の人はみんな一瞬で死んでしまった。瀧はその事実を消化するのに実際に三葉とつながった3年後に初めて意識するわけです。これは震災時やそのあとに感じた「断絶」に似ているなと思います。


自分の話で申し訳ないのですが、少しだけ3.11の話に変えます。僕は実際に東北地方で被災したわけではありませんので、本当に何も言う資格はないのかもですが、あの日は横浜スタジアムで友人と野球観戦をしていました。突如強い揺れを感じて試合は中断。震度は5弱だったそうですが、初めての経験でしたし、僕の真後ろ方面にある外野の照明がぐらんぐらん揺れてて、本当に落ちてくるんじゃないか、でも人がひしめく狭い外野席では逃げ場もない、だから本当に怖かった記憶が今でもあります。


そして横浜スタジアムのビジョンに映し出されたニュース映像をみて場内は騒然となりましたし、僕らは帰宅難民となり一晩中歩き回りました。次の日からアルバイトもなくなり、本当に日常が変わってしまったあの感じが今でも忘れられません。


実際に揺れや被害がほぼなかった故郷(北海道)や西日本の友人と話すと当たり前ですがかなりこの震災について隔たりがあるんですよね。もっといえば当時都民だった僕らだって実際に大変な目にあわれた東北地方などの方々に比べたら、圧倒的に、埋めきれないほどの溝みたいなものがある。それが悪いといいたいわけでなく、理解したくてもしてあげられない、理解してほしくてもしてくれない、理解するふりをしてほしくないのにわかったようにふるまってしまう。そういうどうしようもできないという「事実」があったと思っています。「がんばろう日本」「つながろう日本」という合言葉の中で、実際には相当な「断絶」があった。僕は勝手ながらそう思っているところがあります。


『シン・ゴジラ』と『君の名は。』は前者は絶望感を、後者はその後の断絶をそれぞれの世界観や「怪獣」に預けて真正面から描いている、そう思います。これには相当恐怖やリスクがあったはずなのですが、エンターテインメントとするうえでこの日本の「スクラップ」をしっかり描き切った。この点がまず素晴らしいと思います。これがクライマックスのカタルシスにつながってくるわけです。


―「ビルド」2つの作品で描かれる願いとカタルシス―

『シン・ゴジラ』の数々の素晴らしい批評(時には批判)を拝見すると「矢口はじめ政府の人間が有能すぎる」「途中から現実と虚構が入れ替わる。つまり有能な人々(虚構)とゴジラ=目の前の大問題(現実)」というレビュー、考察が多くあるように思います。これはおおむね同意というか、これはきっと庵野監督の「願い」みたいなものなのだろうと個人的には勝手ながら推察しています。

「この国はまだまだやれる」「この国には官民問わず優秀な人材がいる」というセリフが出てきますが、僕はこれは決して虚構じゃないというべきか、間違いじゃないと思うのです。

『シン・ゴジラ』の想定外だったカタルシスとして、僕をはじめとして若者(だけでないと思うけど)が特に敬遠している(と勝手に思っていますが)日本の非効率なところやもううんざりだ!っていう価値観や行動が結実するところです。寝食を忘れて皆で知恵を出し合いながら残業する、家族の手料理を持参して朝から晩まで働く、電話や対面でとにかく頭を下げまくって生産ラインやアポイントを確保する、などなど。

だからといって明日から「よし俺も残業頑張るぞ」とはならないんですけど(笑)、偉大な軍人や大統領などの英雄が局面を突破するのでなく、みんなで力を合わせて集団で目の前の人知を超えた存在に立ち向かう。ある意味国際社会にも歯向かっている。その「集団」というのは歴史を振り返っても諸刃の剣だけれども、この日本的な立ち向かい方、考え方に希望が持てるような、そんな気がしてくるのです。

正直『シン・ゴジラ』はガラパゴスな映画だと思います。最終盤で赤坂が「この国はスクラップ&ビルドでのし上がってきた。今度もきっと立ち直れる」と言いますが、これはすごいいい言葉だなと思いますし、この官民問わず人知を結集して戦うさまは今後の日本の「ビルド」への願いなのかもしれません。


さて、『シン・ゴジラ』では「一般人の姿、心情などが描写されいない」という批判もあります。そんな『シン・ゴジラ』へのまるでアンサーソングのようにわずか1か月後に登場したのが『君の名は。』なわけです。もちろん『シン・ゴジラ』の内容を知る前からすでに作品は完成に向かっていたはずなので、示し合わせた内容ではありません。にもかかわらず、この2作品が同時期に公開されたのはまさに奇跡なわけです。

『君の名は。』ではある日から東京に住む瀧と岐阜に住む三葉が時々入れ替わるようになり、やんややんやしているうちにお互い少しずつ惹かれていくという、ある意味王道的なラブストーリな展開をしていきます。文字通り二人もその周りの人もっみーんな一般人(三葉の父ちゃんは唯一町長さんですが)。

もう思いっきりネタバレしますと、同じ時空で入れ替わってたと思っていた瀧と三葉は、実は3年物隔たりがあったわけです。瀧は2013年の三葉と、三葉は2016年の瀧と入れ替わっていた。そして彗星が降ってきたのは2013年。正直このアイデアはまじですごいなと劇中感動しました。

二人は入れ替わっている間のことを「夢」というのですが、彗星が降ってからその夢は終わりを迎え、そして夢から覚めると互いの存在を、まるで目覚める前の夢が思い出せない時と同じように少しずつ記憶からなくなってしまう。この儚さとそれを効果的に利用したミステリー風みな展開はまさに新海誠監督の集大成にふさわしい物語でしたね。

瀧は3年前にすでに死んでしまった三葉と会うためにあの手この手を使って過去改変を行おうとします。終盤、二人はついに出会い三葉は最後の過去改変に挑みます。でも名前はやっぱり忘れていく。それでも「もう一度会いたい」という三葉の強い願いがついに物語を大きく動かしていくのです。

断絶を実感し、それに絶望しながらも三葉にもう一度会うためにできることを納得するまで行う瀧、それを支える友人たち。それにこたえる三葉とその友人たち。この願いの強さからくる彼らの行動こそもう一つの「ビルド」なのだと思います。

『君の名は。』の「名前」は、例えば『シン・ゴジラ』で描かれなかった被災者(別に被災者じゃなくてもいい)個人個人に寄り添うためのこれ以上ないキーアイテムだったと僕は思います。とてつもない断絶と喪失を経験したとき、私たちはどのように自分たちを「ビルド」できるのだろう?そんなやさしさを『君の名は。』から感じます。

さて、『君の名は。』の終わり方は正直意外というか新海誠監督らしからぬ?と思いました。多分あの過去改変にはきっと賛否両論があるし、今までの新海誠監督作品なら山で二人がついに一瞬だけ再会した、あそこで終局(つまり過去改変は行われず三葉はやっぱり死ぬ)だったんじゃないかと思います。でもそうしなかった。ここにこそ新海監督の個人に寄り添う「願い」が込められているような気がしてなりません。



―改めて感じるフィクションの偉大さ―

これまでも僕が知らないだけで震災やそこからの立ち直りを描いた映画はその他エンターテインメントは多くあったのかもしれません。ただ震災から5年、こうした作家たちの一球入魂のエンターテインメントが出てきたことはもしかしたら邦画界の潮目が変わるのかもしれません。

やっぱり、映画はエンターテインメントしてなんぼなんですよ!ってつくづく感じました。そして魂こもったエンターテインメント=フィクションには間違いなくそれに触れた別の魂を揺さぶる力がある。それは元気が出ることもあれば、自分はこれでいいんだというような救いにもなるのかもしれません。


この2作品にはもっともっと語りたいところ(どうでもいいところも含めて)はたくさんあるのですが、邦画のスクラップ&ビルド、きっとこれからすごいことになっていくのではないでしょうか。


長文になっちゃいましたが・・・読んでくださった方、どうもありがとうございました。
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