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久米田康治最新作「かくしごと」がとっても面白い件

こんばんは。時には映画以外のお話を。


久米田康治先生という漫画家はご存知ですか?僕がこの漫画家さんを知ったのは確か高校生のとき、マガジンを友人の家とかで読んでいた時です。そのとき連載されていたのが「さよなら絶望先生」という漫画でした。


絶望先生は時事ネタやダジャレを中心としたギャグマンガなのですが、なにより僕が久米田先生を敬愛してやまないのは「目のつけどころ」が本当にすごいというか、時事ネタやあるあるネタなんかをいい意味で斜め上の昇華をしていくんですよね。


例えば僕が絶望先生で好きなネタの一つとして「原作通り」というエピソード?というか回があるのですが、映画監督やアニメーターが不思議な街の「原作通り」という通りに逃げ込むというお話。もうこの設定だけでなんだかニヤニヤしちゃうわけですが。

他にも「対象外」なものや人の切なさなんかが集まる「対象街」という回も秀逸。一番古いものではもう10年前ですから「黄金の中盤」や「あなたとは違いますから」なんていうスポーツから政治ネタまで、今読むと「懐かしいなー」とまた当時とは違った感触で笑えるのです。


決して爆笑!という類のギャグマンガではなくて(中にはストレートに爆笑するネタも散見していますが)、どちらかというと良く練られたギャグとネタの組み合わせ、応酬にうなることができて笑いと知的感動?のダブルで得した気分というか幸福感を味わえるような、そんな素敵な作品が「さよなら絶望先生」なんです。


そして久米田先生って本当にあったまいいなあー!と思わず感動したのがラストなわけです。これは当時も衝撃的な結末として話題となりましたが、シュールギャグマンガから一転して…とこれ以上書くともしかしたら興味をもって読んでくださる方の感動を奪い取ってしまうのでここまで。


一応ハーレム物でもあり、絶望先生のクラスの女の子たちはみんな可愛いです。ただ、いわゆるハーレムアニメ、ラブコメアニメのような萌えキャラやラブラブなキャラでなく、どこかみんな尖った個性や特徴があり、その子たちと先生、その他登場人物の掛け合いがこれまた本当に面白い。誰一人として無駄なキャラはいないというか。そして先ほどからクライマックスが~といってますが、ハーレム物としては一線を画すような着地点。

あうあわないはもちろん、というより結構顕著に?わかれるかもですが、いま(2016年10月17日)はkindleで第1巻無料だし!とにかく読んでみて!と言いたいです!



って前置きが長くなりましたが、そんな久米田先生の最新作が本日!10月17日に第2巻が発売されました。その漫画は「かくしごと」です。


今作は主人公は下ネタギャグ漫画家で、娘にはそれをばれたくないという思いから本業をかたくなに隠し続ける。まさに「かくしごと」は「描く仕事」なわけです。


今作はまさに久米田先生の集大成ともいえる作品ではないかと僕は勝手に思っており、漫画家としての日常や出版社こみの漫画家や業界あるあるを随時ネタに盛り込んでくれたり、コラムで紹介してくれたりなんかしています。


娘に下ネタ漫画家であることをばれないようにわざわざ主人公はサラリーマン風スーツで通勤・帰宅したりするんですが、なぜかちょくちょくばれそうになったりならなかったりといった妙なスリル?があったり、売れる・売れないについてとか、親子の関係性とか、娘ちゃんがもうめっちゃかわいいとか色々あるんですが・・・


やっぱり目の付け所が独特!やっぱり久米田康治は天才だ!


と叫びたくなるようなうなる時事ネタやドタバタネタは今作でも健在。過去作によっては多めだった下ネタも控えめなのかな?という印象。

特に第1巻で好きなのは「借金はどこの筋肉?」と娘ちゃんにきかれて「うーん、○○かな」と答えるシーンなんかはもう本当にくすっと笑えるとともになんて豊かな発想というかボキャブラリーなんだろうと感動さえ覚えました。絶望先生の時もそうでしたが不謹慎なネタ交えつつもやっぱり、日常の何気ない単語やニュースから生まれる多彩なダジャレや語呂合わせなんかももう最高!


コミックス版は1巻・2巻ともに巻頭巻末はフルカラー。おまけに!絶望先生が好きだった人にはうれしいサプライズも随所にあって感動も増すことでしょう・・・


とにもかくにも、久米田康治先生、「かくしごと」ぜひおすすめな漫画です。




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3年ぶりに『風立ちぬ』を観た話

いやあすっかりご無沙汰してしまいました。ブログをこつこつ続けるって大変なことですね(しみじみ)。前回の『エクス・マキナ』の後編の記事を書いていたら途中でPCがフリーズしてそのままやる気なくしてました(小学生並みの言い訳ですが)。

まああまり気張らずにのんびりやっていこうかと…

さて、先月末から話題沸騰の『シン・ゴジラ』を僕も7月30日に観てきました。とっても面白くて実に昨日までに4回劇場へ足を運んでしまいましたし、もう『エヴァンゲリオン』シリーズへの、そして庵野監督への興味も薄れ始めていたのですが、一気に庵野監督に惚れ直した次第です。

自分でもどういうわけかわからないのですが、『シン・ゴジラ』を観た後に無性に宮崎駿監督、そして庵野監督がまさかの主演声優という『風立ちぬ』を久しぶりに見たくなってTSUTAYAに駆け込んだわけですが…劇場で見た3年前に比べてどうもすごい感動してしまい、ネットで色々と記事や感想を調べたり、自分でも考察や妄想をしたりしまったので、これは自分の言葉で備忘録的に残しておこうかなと思ったわけです。

というわけで、今日は『風立ちぬ』について自分が気になった点などをざっくばらんに書き連ねる回としてみようと思います。

予告編





※ネタバレ全開です!!



「生きねば」について―カプローニの夢の王国―


本作のキャッチコピーで「生きねば」ってのがあって、劇場で3年前に観たときは「辛いことがあっても(あったけど)頑張って生きよう」くらいにしか思わなかったし、それも解釈としては良いと思うのですが、改めて見てみるともう少し掘り下げて考えられそうだったので、今回はそのあたりをふれられればと。

中でも久しぶりに見て気になったのは堀越二郎とイタリアの伝説の設計士・カプローニが「夢の中で」何度も巡り合うことです。

カプローニは物語の要所要所で二郎の夢の中に現れ、彼の後押しをする役目を果たします。例えば幼少のころの二郎の夢に初登場したときには彼に飛行機の設計士になることを後押ししますし、ゼロ戦を作るときに飛行機(イメージ)を最初にみせるのもカプローニ。そして終局、「君は生きねばならん」というのもやはりカプローニです。

僕はこのカプローニは二郎の「分身」であり、もっと言えば願望や希望の化身、あえて酷い言い方をすればその願望の言い訳が擬人化したものとも思えます。


―二郎少年の前に現れたカプローニ―
初めてカプローニが登場するのは二郎が子供の頃。カプローニは「近眼でも設計士になれる」「じき戦争は終わる。旅客機を作るんだ」と語り二郎少年を大いに元気付けます。

二郎少年はカプローニに出会う前に冒頭でも夢を見ていますが、二つのことが言えると思います。
一つ目は「目が悪い自分はせっかく飛行機が大好きなのに設計士になれないのではないか」
もう一つは僕の完全な憶測ですが「飛行機=兵器を作ってしまう、この夢はありなのだろうか」ということ。明確に二郎の夢に兵器が出てくるわけでも、二郎が戦争反対!と言っているわけでもないですが、二郎少年の墜落の原因となる謎の飛行船は軍用っぽいですし、爆弾?ミサイル?みたいな小型の飛来物も見えます。これは漠然とした二郎少年の不安(矛盾)を示唆しているのかなと。

※この辺は宮崎駿監督自身が兵器などが好きで魅せられているのに戦争は絶対反対といった複雑な葛藤や矛盾を持っていること自体の表れなのかもしれません。

だからこそカプローニは「近眼でもなれる」(夢、志の強さ)、「軍用機ではなく旅客機を作る」(悪い言い方をすれば驚異的な殺りく兵器を作ってしまうかもしれないという恐怖から目をそらす)を二郎少年に説いたんだと思いました。そうして自身の夢に確信を得られた二郎少年は母親に「設計士になります」と力強く宣言しました。

―成人後に現れるカプローニ―
カプローニは震災直後、火事で大変なことになっている大学にも現れ二郎を勇気付け、そしていよいよゼロを作ろうかという時のもまた夢の王国で彼らは出会うこととなります。

ここでのカプローニは夢の100人以上も乗れる旅客機を完成させていました。引退飛行には家族や友人が駆けつけ実に華やかで陽気でそして平和的な雰囲気。対して二郎はそのカプローニに「飛行機は殺りくの兵器ともなる呪われた夢だ」と言われるにもかかわらず、最強の兵器となるゼロを「美しい飛行機」としてカプローニの前に飛んでこさせて見せ、カプローニも「いい感じだ」といいます。

この辺りは二郎の、少年時代からすでに感じていたかもしれない「矛盾」(美しい飛行機を作りたいけど殺りくからは目をそらしたい)がかなり色濃く出始めていると同時に「創造的人生は10年だけ」とプッシュすることでその迷いを断ち切るためにカプローニが姿を現したような気がしてなりません。

一方で二郎はドイツ視察の時に立派な軍用機を見て「旅客機にできないのがもったいない」というあたり、カプローニのような軍用機ではない飛行機を作りたい(純粋に乗る人が楽しめるような)という思いはあったのかもしれません。また政治や戦争に興味がない(あるいは興味を持てない、目をそらしている)のも純粋にいい飛行機をただただ作りたいだけってのは一貫しているのかもしれません。本庄には劇中複数回も「日本はどこと戦争するつもりなんだろう」ってとぼけた質問をしていますしね。

―カプローニ不在の時間、菜穂子との再会―

さて、ゼロ作成にいったん失敗した後休養生活に入る二郎ですがそこで震災の時に助けた菜穂子と再会してやがて恋に落ちました。ここからクライマックスまでカプローニと夢の王国は一切出てこなくなります。
※その代わり謎の外国人カストロプが登場しますが…

これはひとえにカプローニ=菜穂子となったから、かなと感じました。カプローニはこれまで二郎を節目で勇気づけて道を示してくれましたが、菜穂子と恋に落ちて以降は失意から再生し再びゼロ作成にのめりこんでいくようになります。

菜穂子は二郎の最大の理解者ですし、まさに夢の王国に出てくるカプローニと旅客機のような存在だったのではないかなーと。人生で初めてカプローニが必要なくなった時期でもあり、逆に言えば夢の存在でしかなかったカプローニを現実世界で誕生させているのである意味狂気めいています。

難病の菜穂子を本人が望んだこととはいえ入院させずに、結婚までして同棲するという行為に対し、医者の卵となった加代に「菜穂子さんをどうするつもり!?」と怒られたり、上司の黒川に「それはエゴイズムではないのか」と言われてしまう二郎ですが、「僕たちには時間がない」「今を大事にしたい(菜穂子もそう思っているんだし)」の一点張り。

ここは特にまだ学生だった3年前に劇場で見たときは正直ドン引きしました(笑)。そもそも難病にもかかわらず病院を抜け出して二郎に会いに来た菜穂子も大概ですが、そもそも二郎はろくにお見舞いも行ってないですからね(たぶんですが)。ここは客観的に見れば加代と黒川の言うことは本当にその通りだし、二郎はひどいやつだと個人的には思いますねえ。

とはいえ。ここらがきっと宮崎駿監督が「生きねば」に込めた意味だと僕は勝手に解釈しているんですが、「生きる」というのは一体どういうことなのか?どんな状態なら「生きている」のか?カプローニが登場しないこの期間、二郎とそして菜穂子は間違いなく「生きている」と言えるんだろうなあ。ありきたりの意見ですが、「頑張って生きよう」という意味での「生きねば」ではないんですよね、きっと。


―終局 ゼロも菜穂子も失った二郎の前に現れたカプローニ―

個人的に涙腺決壊シーンだった菜穂子が去るシーンを経た後、物語は唐突に終わりを迎えます。夢の王国にまたもや現れた二郎とカプローニ。「創造的人生の10年はどうだったかね?」と語るカプローニに二郎は「最後は散々だった」と答えます。

積み上げられたゼロの亡骸から結局殺りく兵器を作った挙句「一機も帰ってこなかった」=たくさんの人を死なせたという後悔、そして仕事に夢中になっている間に菜穂子を永遠に失ったことへの後悔や喪失感がすさまじく、だからこそまた夢の王国が現れたんでしょうか。

やっぱりカプローニは二郎の希望の化身だと思うのは最後に菜穂子が来てくれたことですね。そして「生きて」と言ってくれる。カプローニも「君は生きねばならん」と言ってくれる。

ここでいう「生きて」も単純な意味での生きるではないことは間違いないですが、これから二郎はどんな風に「生きて」いくのでしょうか。それはカプローニが「ワインでも飲んでいかないか」というようにこれからゆっくり探すのかな。



というわけでカプローニと夢の王国に絞って話をしてきましたが、『風立ちぬ』は実に語りたいところがある面白い映画だと思いますし、かつての冒険活劇ではない点などから賛否両論でしたが、個人的には好きな映画だと2回目で特に思いましたね。

「夢」が何かを暗示したりするのは決して新しい手法ではないと思いますが、このカプローニは本当に何のために出てきたのか、十人十色の解釈ができそうですね。


最後に。公開中の『シン・ゴジラ』ではある人物が「私は好きにした、君らも好きにしろ」と言いますが、もしかしたら宮崎駿監督から庵野監督へのメッセージだったりしてねという妄想をして終わりとしたいと思います。覗いてくれた方、ありがとうございました。

備忘録(4月に観た旧作映画)

GWはいかがお過ごしでしょう?

僕は本日(5月1日)友人と競馬に行きまして、天皇賞春!で勝負してきましたが…

まさかの13番人気が2着に潜り込むという波乱の結果に(笑)

幸い1着馬のキタサンブラック(馬主はなんとあの北島三郎!)の単勝は買っていたので多少のリターンはありましたが、馬連・三連複はその2着馬の激走であえなく撃沈という結果に(´・Д・)

まあギャンブルはパチンコも麻雀(ギャンブル?)も競艇やらも一切しない、興味がわかないのですが、競馬だけはどうも好きですねー。というよりもともと大した額を賭けていない+負けても一向に気にならないという点でもしかしたらあれこれデータから予想するのと何となく馬が好きなだけなのかもしれません。

って前置きが長くなりましたが4月に家で鑑賞した映画を紹介していこうと思います。タイトル通り備忘録的なところもありますね。


全作品ともネタバレありません。


<映画>

①マッドマックス 怒りのデスロード(2015年)

私はNetflixの愛用者なんですが、ついに昨年の私的ベストの『マッドマックス 怒りのデスロード』が配信開始されましてね。いやまあ当然ブルーレイは持っているのですけれども、せっかくなので鑑賞。

うん、やっぱり最高だ!


もう多くの方々が素晴らしすぎるレビューをブログやフィルマークスやTwitterであげていらっしゃいますので、もうレビューとかはしませんけど、やっぱりあのノンストップアクションと、素晴らしすぎるヒーロー物語と人間ドラマ(むしろアクションで語る!)は何度観ても色褪せないもんですね。


②グランド・イリュージョン(2013年)

今年9月に続編公開予定の第1作目です。超一流マジシャンたちが集結して大規模な犯罪を仕掛けていくエンタメ色が濃い映画です。

一応映画館で鑑賞済ですがもう2年くらいたってよく覚えていないのとやっぱりNetflixにいつの間に配信されていたので鑑賞。うん、前も思ったけどちょっと黒幕のネタ晴らしが雑な気が。本作で一貫して用いられる「ミス・ディレクション」なんだろうけど、いやいやはそうですか、って感じだなー。役者陣はみんな魅力的でテンポも良いので暇つぶしにはもってこいなんですけどね、本格ミステリものには及ばない程度のサスペンスだし、かといってアクションやファンタジーに振り切っているわけでもないので、ちと中途半端に面白い程度の作品って印象かな。

9月公開予定の『グランド・イリュージョン 見破られたトリック』特報


続編も一応映画館へ行くつもり。ダニエル・ラドクリフが良い感じの敵役っぽいので楽しみです。


③タイム(2011年)

『ガタカ』のアンドリュー・ニコル監督の2011年公開作。時間=通貨=余命となっている近未来のお話で、富裕層は余命100年とかいう「通貨」を持っているし、スラム街の人らはいつも余命23時間なんていう恐ろしい世界です。

アメリカでもコケてしまい日本でも全然ヒットしなかった本作ですが、僕は結構好きです。

いや確かに設定がおもしろいわりにその細かいルールや基準が雑だし、主人公や周りの人物は(敵味方ともに)馬鹿揃いだし、壮大なSFっぽい感じながら戦う相手や主人公たちの行動がまあ小物で小さい(苦笑)。

でもやっぱりこういう「設定」を思いついただけでもね、僕みたいな妄想好きにはたまらないんですよ。同様にあんまりレビューサイトとか見ても評判が芳しくない『マイノリティ・リポート』なんかも大好物ですし。

あと、この映画のおかっぱアマンダ・セイフライドのエロ可愛さは異常だ!これだけで+25点くらいです、はい。

ただまあ、各方面で指摘されているように、あのオチはさすがに不満が残るというか、いやいやそんなしょぼい結末でいいの?あんなに命がけでお前ら頑張ったやんけ?とは思いますけどね。DVD買おうとは思わないですが、配信サイトで暇つぶしに観るには最適というくらいには面白いです。色々観終わったとに妄想や想像が捗るし。



とまあ、4月に観た旧作映画をざっと紹介してきました。すでに観たことあるものばかりになってしまったので、5月はGWも活用してまだ観てない作品をじゃんじゃん観るようにしたいです。

でも昨日シビルウォーを観てまたアントマン観たくなってきた…いっそのことブルーレイ買おうかな…


以上4月の旧作映画メモでした!
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